歴史

 

1790年 寛政年間 厚岸場所として落石に番屋が設けられる
1868年頃 明治元年頃 落石地区でコンブ漁がはじまる
1869年 明治2年 蝦夷地が「北海道」に改称される
    北海道開拓史が置かれ、石狩国、根室国など11国86郡が設置される
1876年 明治9年 落石村、昆布盛村あわせて漁家20戸になる
1882年 明治15年 北海道開拓史が廃止される
    函館県、札幌県、根室県の3県が誕生する
1890年 明治23年 落石岬灯台点灯(北海道で10番目の灯台として設置される)
1892年 明治25年 落石小学校のもとになる教育所ができる
1908年 明治41年 落石無線電信局送信所開設
1920年 大正9年 国鉄根室本線が延伸し、落石駅開業
1921年 大正10年 国鉄根室駅開業
1935年 昭和10年 昆布盛小学校開校(落石尋常高等小学校の分校として開設)
1945年 昭和20年 北海道空襲の際に根室市内の大半が焼失し、壊滅的被害を受ける
    クリル諸島、国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島がソ連に占領される。
1947年 昭和22年 落石中学校開校
1949年 昭和24年 落石漁業協同組合設立
                

 

Yururi Island

 

                
1950年 昭和25年 S家が昆布の干場を求めてユルリ島へ移住する
1951年頃 昭和26年頃 昆布漁の労力として、ユルリ島にはじめて牝馬が運び込まれる
1957年 昭和32年 根室町と和田村が合併し根室市が誕生する
1960年 昭和35年 ユルリ島灯台点灯
1963年 昭和38年 K家でもユルリ島を利用するようになり、牝馬が島に運び込まれる
    最盛期には約9軒の番屋と7基の櫓が島に設けられる
    ユルリ・モユルリ島が海鳥繁殖地として、北海道指定の天然記念物になる
1965年頃 昭和40年代 昆布盛に新しい昆布の干場ができる
    エンジン付きの船が登場する
    ユルリ島から人が去りはじめる
1966年 昭和41年 落石漁協がユルリ島(168ha)の払い下げを受ける
    落石無線電信局廃止
1968年 昭和43年 北海道が開道100年を迎える
1971年 昭和46年 ユルリ島から最後の漁師が島を去る
                
                
1976年 昭和51年 ユルリ島が北海道自然環境保全地域に指定される
2001年 平成13年 ユルリ島が環境省選定の「日本の重要湿地500」に選ばれる
2006年 平成18年 ユルリ島で最後の間引きがおこなわれる
    18頭から種馬を含む4頭が間引きされ、14頭の牝馬が島に残る
    1951年頃から続いた人と馬との営みが終りを告げ、ユルリ島の馬は消えゆく運命となる
2010年 平成22年 落石岬灯台霧笛信号廃止
2011年 平成23年 ユルリ島に生存する馬は残り12頭となる
2013年 平成25年 ユルリ島に生存する馬は残り10頭となる
2014年 平成26年 ユルリ島に生存する馬は残り5頭となる
2015年 平成27年 昆布盛小学校閉校
2017年 平成29年5月 ユルリ島に生存する馬は残り4頭となる
  平成29年6月 ユルリ島に生存する馬は残り3頭となる

 

 

 

© YAMAMOTO Masami

ユルリ島の馬

 

ユルリ島の馬は、ペルシュロン、ブルトン、アングロノルマン、日本在来馬である北海道和種などを交配した輓馬型の半血種である。ユルリ島の馬の基礎になった4頭の牝馬には、改良和種やペルシュロン系と記録されたものや、血統不明なものもいる。種馬も年により、ブルトン系、ペルシュロン系、改良和種、半血種など統一されていない。

 

 

 

 

北海道和種馬

 

江戸時代、松前藩士が蝦夷地に赴任するとき、内地から南部馬などを持ち込んだ。藩士は任期が終わると馬を原野に放ち、人間だけが引き上げた。次の新任者は、また新たに馬を持ち込み、任期が終わると馬を原野に放つことを繰り返した。当時すでに土着していたアイヌがその馬をつかまえ、家畜として使役したと言われている。当時の馬は南部馬であったが、山野に放たれた馬は北海道の風土に順化し、南部馬とも異なる素質と能力をもった新馬種が誕生した。これが北海道和種馬であり、道産馬(ドサンコ)と呼ばれている。北海道和種馬は山林原野に年間放牧され育てられたため、頑健である。そのため道産馬は、積雪量1m以下で、ミヤコザサが自生している地域であれば、零下20℃以下の酷寒の中でも生存できると言われている。

 

 

 

 

日本在来馬

 

かつて歴史にその名を残し、日本馬の中で最良の馬といわれた南部馬をはじめ、日本には約20種の在来馬がいた。しかし南部馬をはじめ、日本在来馬の多くが消滅し、残存する在来馬8種の多くも絶滅の危惧に陥ったのは、戦時中に軍馬増強のため国策としておこなわれた外国産馬との配合における馬匹改良馬政第一次計画馬政第二次計画)や、農業の機械化にともなう農耕馬の急減が主な理由である。残存する日本在来馬は現在8種。ユルリ島の馬の衰微も、輓馬の需要の衰退と時を同じくしている。

 

北海道和種馬(北海道・未登録)

木曽馬(長野県・長野県天然記念物)

御崎馬(宮崎県・国の天然記念物)

対州馬(長崎県・未登録

野間馬(愛媛県・今治市天然記念物)

トカラ馬(鹿児島県・鹿児島県天然記念物)

宮古馬(沖縄県・沖縄県天然記念物)

与那国馬(沖縄県・与那国町天然記念物)

 

 

 

 

絶滅した日本在来馬

 

南部馬、三春駒、鬼首馬、能登馬、淡路馬、島原馬、阿蘇馬、薩摩馬、三河馬、土佐馬、日向馬、甲斐駒、ウシウマなどがこれまでに絶滅している。また青森県の天然記念物に指定されている寒立馬は、南部馬と外来馬の交配種である。寒立馬は1995年(平成7年)には一時期9頭にまで激減している。

 

 

 

 

ウシウマ

 

鹿児島県のウシウマは、種子島などで飼育されていた日本在来馬の一種だった。1931年(昭和6年)には国の天然記念物に指定されたが、1942年(昭和17年)に勃発した太平洋戦争による食糧難により、残った個体も食用に供されるなどした。終戦後の1946年(昭和21年)6月頃、西之表で飼育されていた最後の個体が死に、ウシウマは絶滅した。国の天然記念物の指定は、1956年に解除された。

 

 

 

 

千島馬

 

戦前の北方領土の国後島や水晶島では、かつて千島馬が放牧され、自然増殖されていた。冬になるとヒグマが冬眠するため、馬は山間部の森林内でも生息した。餌がなくなると、馬は海岸に打ち上げられた昆布やタラなどの魚を食べていたという。北方領土がロシアに占領されてからは、千島馬は食料化され減った。しかし、現在でもその子孫が生息していると言われている。

 

 

 

 

 

参考文献

『馬は語る』(澤崎担著、1987年、岩波書店)、『ユルリ島の馬』(木村李花子著、1993年、馬事文化財団)、『野生馬を追う』(木村李花子著、2007年、東京大学出版会)、『牛馬と人の文化誌』(市川健夫著、2010年、第一企画)など

 

 

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